伽羅通信

第46号(2012年1月10日)

鎌倉の奥座敷で古都の面影を色濃く残す古刹「覚園寺」

その日、鎌倉はまれなほどの土砂降りに包まれていました。路線バス終点の「大塔宮」で下車。傘を開いてゆるやかなのぼり坂を歩くこと10分、谷戸の奥で静かにたたずむ「覚園寺」に到着しました。十三仏巡拝 第十一番札所にあたる真言宗の古刹では、歳月を重ねた伽藍や重要文化財の仏像群、国の史跡に認定された自然環境が昔のままの姿でしっかりと守られています。今回は、鎌倉屈指の古刹「覚園寺」で出会った歴史遺産の重量感と、ご住職方の素直に心温まるおもてなしをご紹介いたします。

鎌倉十三仏霊場 第十一番札所「覚園寺」 ※写真の転載不可。
※写真は2月に撮影しました。

古色を帯びた愛染堂で、波乱の歴史を見守ってきた仏像群

ゆるやかな坂のはての山門

ゆるやかな坂のはての山門

尊氏自筆の銘が残る本堂

尊氏自筆の銘が残る本堂

びしょぬれの着衣を気にしながら、愛染堂に入りました。明治初年に廃寺となった大楽寺から、明治後期に移築した愛染堂の芳香の漂う堂内で、信仰の事、寺の役割などご住職の講話を親しく拝聴。つづけて多彩な仏像を、まじかに拝見しました。中央には欲望や煩悩を受け入れてくれる愛染明王、右手は無骨で強靭な鎌倉武士好みの鉄製の不動明王、左手の鎌倉十三仏・阿閦如来(蓮上王 七回忌)に合掌しました。覚園寺の原点は、北条義時が1218年に建てた大倉薬師堂。1296年に北条貞時が元軍の再襲来防止を祈願し、智海心慧(ちかいしんえ)を開山(初代住職)として招聘。真言・天台(律)・禅・浄土の四宗兼学の寺(道場)としました。朝廷と幕府の対立が深まる中で、泉涌寺の教え(北京律)を武家に広める大切な役割を果たしました。その後、1333年に後醍醐天皇により勅願寺となり、1337年の火災で本堂が焼失するも、1354年に足利尊氏が再建。1830年の大火災、1923年の関東大震災などで大損害を受けながらも不死鳥のように復興を遂げました。はげしい雨音に包まれた愛染堂でしばし目を閉じて、想像を絶する困難を乗り越えた先人たちの寡黙で崇高な行為をしのびました。

杉の巨木が列柱となって、天蓋をおおう自然の大伽藍

花の季節はちいさなお客さんも

花の季節はちいさなお客さんも

雨は降りやみません。副住職の先達で、境内を奥に進み薬師堂を拝観。豪壮な作りの建物で、正面には薬師如来、脇侍の日光菩薩(右)と月光菩薩(左)に十二神将が祀られています。建物は元禄年間に建て直されましたが、以前の面影をよく残し、天井の梁には足利尊氏が書いた文字が残されています。正面の小ぶりな開祖座像を見た参加者が、「手にしている道具は何か?」と問うと、副住職は間髪を入れず「払子(ほっす)です」。谷の奥に向かうと、両脇の山肌が徐々に狭くなり、すっくと天に伸びる杉の巨木が列柱のように立ち並んで、あたかも自然の大伽藍。杉の葉が天蓋がわりとなるのか、雨粒も少なくなりました。世界自然遺産候補の声もうなずける、深山幽谷の雰囲気です。青磁色の美しい 苔におおわれた墓地で、副住職は激しい雨音に負けないよう声を張りあげて開山智海心慧と二世大燈源智の宝篋印塔の由来を詳しく説明。「奥様も一緒に葬られているのですか?」との女性からの質問に「明治以前、僧侶は妻帯していませんでした」と、これまた即答が帰ってきました。皆、神妙に合掌したあと、鎌倉十井の「棟立ノ井」(むなたてのい)を特別に拝観。ぬかるんだ細い道には心配りのワラが敷き詰められ、参加者の足元を泥汚れから守ってくれます。急斜面を見上げた副住職は、「この尾根の向こう側は建長寺さんですよ。さ、お茶でも喫みましょう」

覚園寺の名水でたてた、こころづくしの甘露のあじわい

こまやかな心遣いがうれしい

こまやかな心遣いがうれしい

雨にぬかるんだ山道を、滑らないよう気を配りながら坂をくだり、「黒地蔵」に参拝しました。この地蔵菩薩立像は、鎌倉二十四地蔵のひとつ。地獄の罪人の苦しみを少しでも和らげようと、鬼に代わって火を炊いたため、「黒くすすけている」という伝説があるそうです。その先の、まだ木の香も新しい千体堂で休憩しました。霊験あらたかな黒地蔵の分身(小型地蔵像)を借り受け、願いが叶うと、お福分けとして2体にして返された千体地蔵が壁面いっぱいに居並んで,静かに微笑んでいます。副住職が雲行きの怪しい天気を気にされて、昨日のうちに汲んだ「棟立ノ井」の名水でたてた、こころづくしのお茶を喫しました。まさに甘露!雨に冷えきった体にしみいるような、茶のまろやかな味に、覚園寺ならではのこころくばりを堪能することができました。毎年8月10日の「黒地蔵縁日」では、施餓鬼法要がおこなわれます。三年間続けて参拝供養すると、なくなられた方が必ず成仏されるとのこと。ぜひいちど、古刹・覚園寺に古き良き古都の風情をたずねてみませんか。

骨太な宗教者の信念が熱く息づく寺

願いを込めて回す百万遍の念珠

願いを込めて回す百万遍の念珠

覚園寺の現存する本堂は1354年、足利尊氏によって建立され、江戸時代(1689年)に古材を再用しつつ改築に近い大修理が行われています。太平洋戦争中に、その天井の梁の文字が問題になりました。足利尊氏自筆の銘が残っていたのです。当時の皇国史観(南朝正統)では、北朝の尊氏は逆臣。軍部は尊氏の銘を撤去するよう圧力を加えてきたものの、寺側はこれを峻拒したそうです。そのために戦争中、覚園寺は「国賊の寺」と呼ばれたという逸話が残っているそうです。鎌倉の谷戸の奥の閑静なお寺には、貴重な伽藍や仏像のほかにも、したたかで骨太な宗教者の信念が熱く息づいているのですね。

用語解説・資料

智海心慧
(ちかいしんえ)

覚園寺開山(初代住職)の智海心慧(ちかいしんえ)は、京都泉涌寺にいた願行からは密、極楽寺の忍性からは戒律を受けた鎌倉時代を代表する律名僧のひとりです。律宗は、旧仏教に属しています。753年に鑑真が唐から招来し、東大寺に戒壇を開き、日本で初めて天皇に戒律を授け、後に唐招提寺を本拠とした南都六宗(旧仏教)の一つです。しかし、貴族から武家へと政権が移るなか、13世紀になって、極楽寺忍性の師である叡尊たちを中心に変革し、鎌倉仏教(新仏教)のなかでも、重要な役割を担いました。

払子(ほっす)

獣毛や麻などを束ねて柄をつけたもの。インドで蚊・ハエなどの殺生を避けるため用いましたが、のち法具となって、中国の禅宗では僧が説法時に威儀を正すのに用いるようになり、日本でも真宗以外の高僧が用います。

覚園寺の
重要文化財

【開山塔】
開山の智海心慧の墓塔である石造宝篋印塔。1332年の建立。
【大燈塔】
2世大燈源智の墓塔である石造宝篋印塔。開山塔と同じく1332年の建立。
【木造薬師三尊坐像】
覚園寺の本尊。薬師如来の頭部は鎌倉時代、体部は南北朝〜室町時代の作と推定。両脇侍のうち日光菩薩像は像内銘から1422年、仏師朝祐の作と判明。月光菩薩像も同時期・同人の作と推定。
【木造十二神将立像】
薬師三尊の脇侍像と同じく、仏師朝祐の作。
【木造地蔵菩薩立像】
通称黒地蔵。地蔵堂安置。鎌倉時代。
【覚園寺境内】
1967年(昭和42年)6月22日、国の史跡に指定。

鎌倉十三仏霊場巡拝関連リンク

覚園寺(かくおんじ)

住所

〒248-0002
鎌倉市二階堂421

電話番号

0467-22-1195

拝観時間

平日:午前10時/午前11時/午後1時/午後2時/午後3時
土日祝日:午前10時/午前11時/午後12時/午後1時/午後2時/午後3時
※本堂薬師堂の拝観は所定の時間に案内人がガイド
 所要時間50分。撮影不可。
※黒地蔵縁日(8月10日)を除く、8月1日〜31日、12月20日〜1月7日、雨天荒天は拝観不可。

拝観料

500円(小中学生は200円)

アクセス

JR鎌倉駅東口京急バス4番乗場より
「鎌20」大塔宮(八幡宮経由)行き乗車、「大塔宮」終点下車徒歩約10分

詳細

真言宗泉涌寺派。1218年(建保6年)北条義時がこの地に大倉薬師堂を建立したのが始まり。1296年に北条貞時が心慧上人を開山に招き、覚園寺として再建。境内の入口には鎌倉最古といわれる愛染堂、諸仏が居並ぶ豪壮な薬師堂、地蔵堂が建つ。その奥には非公開の棟立ノ井、開山塔と大燈塔などが、国の史跡に指定された閑静な自然のなかに点在する真言宗の古刹。

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